先日、あるテレビ番組を見ていた。
夜通し働く人々の死闘の日々のリアルを映し出す「バラエティ番組」だ。
そこで登場していたのは、巨大構造物の輸送チームである。
よく道路上を新幹線を輸送するシーンなどは見たことがあった。
今回扱われていたのは、青森県六ヶ所村の風力発電所へ運ばれる、 長さ57メートル、重量16トンの巨大風車の羽(ブレード) だった。
巨大だけに通常の流通に影響しないよう、夜間での運搬が常だ。
その長さは道路の曲がり角をミリ単位で調整してギリギリで通過し、重量は専用車両の軸をきしませながら、ゆっくりと進んでいく。
それを道路輸送するというのだから驚きだ。
その運搬技術もさることながら、 運搬を担う運送業チームの皆さんのチームワークにも目を見張るものがあった。
誘導、速度調整、道路の一時封鎖、ミリ単位の角度調整── すべてが一枚のブレードを目的地へ届けるために連動している。
こうした人々の積み重ねの上で社会が成り立っていることを痛感する。
こうした巨大構造物の輸送の現場を目にすると、 風力発電という技術が単なる「再生可能エネルギー」という枠を超え、 人間の営みと社会の構造そのものに深く結びついていることを改めて感じる。
そして、巨大なブレードが夜の道路を進む光景は、 風力発電が抱える“もう一つの側面”を考えるきっかけにもなる。
風力発電は、環境に配慮した技術として語られることが多い。
ブレード表面の微細な工夫、騒音を抑える形状、 鳥の衝突を減らすための設計── 多くの最新技術を取り込んで、人類の新たな挑戦は続いている。
風力発電は、ミクロでは環境に配慮した技術として進化してきた。
しかし、風車群が地域の風の流れを変え、湿った海風を引き込み、上昇気流を生み、局地的な気象を変質させるという“マクロの変化”も聞く。
では、そのような矛盾とも思えるようなことはなぜ起こるのでしょうか。
技術そのものよりも、実は 人と組織の構造 によって生まれているのではなかろうかと感じる。
流体工学、生態学、気象学、土木、行政── それぞれがそれぞれの分野を追究してきた。
しかし、互いの領域を理解しないまま意思決定が進むとどうなるのか。
ミクロの改善は専門家が積み重ねるが、マクロの変質は誰も扱わない。
巨大構造物を扱う社会の仕組みそのものが、環境の変化を“構造的に見落とす”ようにできているとさえ思えてくる。
一見すると風力発電の矛盾は、技術の限界ではなく、 人間の認知限界と組織の構造的限界が生み出す必然なのかもしれない。

