音の流れと、内からの光

音楽との出会いは、偶然だったと思っていた。 中学の教室で、ふと流れてきた一曲。 名前も知らない。 作曲家も知らない。 ただ、なぜか心が静かになった。

音楽は、ただの偶然で耳に入ってくるものではない。 そこには、作り手の意図や構造、響きの重なり、 長い時間の中で磨かれてきた“流れ”がある。 その流れと自分がどう出会ってきたのか。 その問いから、静かに物語を始めたい。

中学の頃、NHK FMをただ流していたとき、 シューベルトの「ます」が偶然流れてきた。 曲名も知らない。 クラシックに詳しいわけでもない。 それでも、身体が勝手に反応した。 落ち着く。 集中できる。 気づけば、勉強のOSになっていた。

深層心理学では、 人は意識で選んでいるように見えて、 実は無意識が選んでいると言われる。 「居合わせただけなのに選んでしまう」現象。 音楽に対して身体が勝手に反応する理由。 その説明を、当時の自分は知らなかった。

音楽の流れは、 作り手の意図や構造だけでできているわけではない。 聴く側の内側にも、 それを受け取る“流れ”がある。 その二つが重なったとき、 偶然だと思っていた出会いが、 静かに意味を帯び始める。

母との対話で知ったことがある。 胎内にいた頃、母は「ます」をよく聴いていたという。 その瞬間、 中学での偶然の出会いが、 静かに裏返った。 偶然ではなく、 自分の深層に刻まれていた“流れ”との再会だったのだと。

音楽がずっと自分の内側を支えてきたように、 人の中にも、まだ灯っていない光がある。 その光がいつか静かに灯ることを、 気づけば、そっと信じてきた自分がいる。

そして今、 その中心には、静かに灯っているものがある。

静かだけれど確かな。 冷たくない。無機質ではない。 無であり光。 自分の中心に灯っている。

音楽との出会いは偶然だったと思っていた。 けれど、その光は、ずっと前からそこにあった。