人をシビレさせるには、まず自分がシビレるしかない。

AIは“情報”を処理する。 人間は“意味”を生成する。

情報の海の中で、人は自分の内側から立ち上がる意味を手がかりに進んでいく。

正解が一意に決まる世界では、「あるべき姿」という言葉が機能していた。
けれど今は、正解が複数ある。人は、自分の内側から意味を立ち上げながら進むしかない。

だから私は、プロジェクトメンバーが「あるべき姿」と書いてきたら、真っ先に、そして、 片っ端から「ありたい姿」に書き直す。
外側の正しさではなく、内側の構造から仕事をつくるほうが、人はずっと強く、しなやかに動き出す。

心理学では、これを「内発的動機」と呼んできた。
外側の力ではなく、内側の意味を持つとき、人はもっとも深く、そして、自然に動き始める。

音楽の世界でも、 指揮者たちは常に“構造”を見ている。
そして、優れた指揮者ほど、表面の音ではなく、内側の流れを扱う。
その視点は、私が仕事で大切にしているものと同じだ。

かのサー・サイモン・ラトルは、こう語ったそうだ。
「オーケストラをワインに例えるなら、 チェロはボトル、ヴァイオリンはラベル、そして、ヴィオラは、、、、『中身だ』」
この逸話は、出典は定かではないが、この比喩は私の実感とよく重なる。

オーケストラでは、ヴィオラは構造の中心にいるから、周りを見ている。右も左も、上も下も見えている。
それぞれの意味がわかる。自分がどう動けば全体がどう動くかもわかる。でも、それだけでは足りない。

自分が音楽にシビレていなければ、 音楽は命を持たない。
そのシビレが無意識を通じて構造に伝わり、 音楽全体に生命を吹き込む。

私は、痛みも悲しみも喜びも、自分の内側から湧き出る震え、言うなれば”シビレ”として、音楽を通じて人に伝えてきた。
そして今、理解した。この“シビレ”こそが、 意味を立ち上げるということなのだ。

そう考えると、私が気が付けば、いつも人の輪の中心にいることも、自然なことなのかも知れない。(自意識過剰?)

派手に主張することはしません。
内側の響きで場の流れを整えるという生き方が、 ずっと自分の中にあるんです。

話を戻せば、AIが情報を処理する時代に、 人間が担うべき役割は、 内側から意味を立ち上げることだと、 私は今も静かに信じている。

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