失われた30年が生んだ“静かなもやもや”
日本では「失われた30年」と呼ばれる長い時間が流れました。
給与はほとんど変わらないまま、仕事だけが増えていく。若い人はみるみる減っていく。
そして気づけば—— 10年経っても、自分が最若年のまま。
この状況を、私たちはどう受けとめていけばいいのでしょうか。
最近になってようやく物価高と合わせて賃金アップがニュースになってきましたが、本来、そのような扱いをされること自体がおかしなこと。
現場には、言葉にならない重さが静かに積み重なっているように思います。

1|若い人が減り続ける中で、未来の姿が見えにくくなる
「この仕事、あと何年続けられるのだろう」 「誰が次の担い手になるのだろう」
そんな問いが、ふと頭をよぎる瞬間があるかもしれません。
若手が減るということは、 未来の形が少しずつぼやけていくということでもあります。
この感覚を、どう扱えばいいのでしょうか。
2|未来が見えないまま、仕事だけが増えていく
新しい業務が増え、説明責任が増え、書類が増え、 気づけば「以前より忙しい」という感覚だけが残る。
給与は変わらないのに、 仕事は確実に増えている。
この状況を前に、 私たちはどんな姿勢で立ち続ければいいのでしょうか。
3|人は増えない以上、増えた仕事は現場が吸収するしかない
「誰かがやらなければならない」 その“誰か”が、いつも自分たちになる。
人が増えないまま、仕事だけが増える。 この矛盾を抱えながら働く日々は、 どこか張りつめた空気を生みます。
この張りつめた感覚を、 どうすれば少しでもほぐせるのでしょうか。
4|役割が曖昧なまま、できる人に仕事が集まっていく
「できる人がやる」 「気づいた人がやる」
そんな文化が続くと、 仕事の境界が少しずつ曖昧になっていきます。
気づけば、 できる人だけが忙しくなり、 できる人だけが疲れていく。
この状態を前に、 どこから手をつければいいのか、迷うこともあるかもしれません。
5|分かってはいるけど…。変わられない
「このままではいけない」 そう思う瞬間はある。
けれど、 何をどう変えればいいのか、 その道筋が見えない。
変えようとすると混乱が起きる。 だから、現状維持になる。
結局、仕事が人についていくことになる。
この“変われない感覚”を、 どうすれば少しずつほどいていけるのでしょうか。
このもやもやを変化の兆しに変換できないか
ここまで描いてきた現場の感覚は、 単なる愚痴や不満として片づけてはいけないように思います。
むしろ、 長い時間をかけて積み重なってきた「変わるべき兆し」 なのではないでしょうか。
現場の人が抱えている静かな違和感や、 言葉にならない重さ。
それらは、組織が次の段階へ進むための“最初のサイン”のようにも見えます。
だからこそ、 このもやもやを丁寧に言葉にしていくことが、 変化の一歩目になるのだと思います。


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